うさぎ Drupaからずいぶん経ってしまいました。
Drupaはデュッセルドルフで開催されていましたが、アウグスブルグへ移動しました。

アウグスブルグはとても古い町並みが印象的でした。

たしか紀元前にローマ皇帝のアウグスツスが治めていた・・・。
世界史がとても弱いので・・・・。

この地域は昔から工業が盛んだったようです。
戦争中は軍需工場もたくさんありました。

世界初のディーゼルエンジンはアウグスブルグのルドルフ・ディーゼルが発明した物です。
従来の石油エンジンに比べて、燃料消費が1/4ととても効率が良いエンジンでした。

これに着目したのが山岡孫吉です。滋賀県の出身の山岡は貧しい農家の出身でしたが、「農民に役立つ物を作ろう」と決心し、山岡発動機を立ち上げました。
山岡は言葉も全く通じないドイツに乗り込み、ルドルフ・ディーゼルから技術を学びました。
帰国後、山岡は更に改良を重ね、小型ディーゼルエンジンを開発しました。

これが縁で山岡の出身地、滋賀県長浜市とアウグスブルグは戦後、姉妹都市の提携をしました。
山岡は豊作のシンボルとしてトンボを商標登録しようとしたが、静岡県の醤油メーカーがすでに商標を登録されていたので、トンボの大きい種類のオニヤンマにちなんでヤンマーとしたらしい。
うさぎはてっきりヤマオカのヤとマゴキチのマからと思っていたのでしたが・・・・。

またヤマオカは技術を教わったルドルフ・ディーゼルとアウグスブルグに感謝の印として、アウグスブルクの駅前に日本式の記念石庭苑を建造し、それがドイツからの金賞牌、大十字功労勲章の受章につながった。

山岡は燃料消費が少なく、自己着火ゆえに一度始動すると動き続けるディーゼルエンジンは、日本の漁船にぴったりだと確信しました。
数回ドイツ、アウグスブルグへ渡り、英語もドイツ語も出来ないところ、ディーゼル博士に教えを請い、商業化へ成功しました。

「一度かかると止まらない漁船向きエンジン」といううたい文句で、エンジンは日本中の漁港で船舶用エンジンとして使われることになりました。
ある日、青森の漁師が、嵐の中、漁に出かけたのです。

船は遭難し、エンジンは停止しました。漁師の相続人は、販売会社を訴え、当然賠償すべしという判決が出ました。それを山岡孫吉は、代わって自分が損害金を支払い、遺族に詫びをしました。

ところでヤンマーと言えば「ヤン坊マー坊天気予報」ですが・・・・
てっきり農業関係者が明日の天気予報は見るから良いPRになると考えて天気予報のスポンサーになったと思っていましたが・・・・、

山岡孫吉は、「ヤン坊マー坊天気予報」を、会社が続く限りやり続けるように託して昭和37年、逝去したのです。いくら性能がよいエンジンを搭載した船でも、嵐の時に船出したらひとたまりもありません。安全を確認して出漁して下さいという、山岡孫吉の精神が今日まで続いているのです。

アウグスブルグの事を書いていたらヤンマーの記事なってしまいました・・・。

サービス動画ですハート
http://www.yanmar.co.jp/special/YM/history/swf/1959.swf
1959年(昭和34年)の気象記念日(明治17年制定)にあたる6月1日よりスタート






提供:ビジネスブログのe売るしくみ研究所..